日本に帰って

私はずっとイギリスにいるつもりだったが、残念ながらビザの審査が通らなくて日本に帰ることになってしまった。ロンドンを離れる事が決まった時が人生で一番辛い時だったと思う。

帰国すべく私は自分の持ち物をまとめた。別送する荷物はダンボール二箱しかなかった。残りはスーツケースと機内持ち込み用の鞄に詰めた。少々重かったので超過料金を取られる羽目にはなったが、七年近く住んでいたのを考えると、かなり少ないといえる。

実はずっと貧民街の劣悪住宅に住んでいて、余りの劣悪さ具合に嫌気がさして何度も引越しを重ねていたのだ。指折り数えてみると、ロンドンにいた頃の引越し回数、十回。もはや引越し魔である。引越しの度少しずついらない物を処分していったら、最後にはダンボール二箱分しか残らなかったのだ。

東京に住み始めてすぐ仕事を探した。幸いにしてあっさり就職は決まったが、東京での生活に慣れるのは長い時間が掛かった。私は未成年のうちに日本を出てロンドンに住み始め、そこで大学に通い、仕事をした。ロンドンやイギリスでの仕事の仕方や社会のシステムはそこそこ理解できていたが、成人後戻って来た日本では何がどうなのかちんぷんかんぷんだった。

国民健康保険、社会保険、年金、所得税、区民税。これらは一体何だ。未成年だった渡英前の私はそんなものに縁がなかった。銀行口座を開設したり、ロンドンにいる間にさらに複雑化した電車や地下鉄の乗り継ぎの仕方を覚えたり。分からない事だらけだ。

しかも、日本語を話さない生活を何年も続けていたら、私の日本語はおかしくなってしまっていた。忘れてしまったのだ。どもらずにしゃべれるようになるまで時間を要した。それまでは仕事でも「えーと、あの、あれの事です。困るなんです。」などと怪しい片言を駆使して会話をしていた。聞き手にしてみればカオスだ。

どうしたら良いか分からず八方塞な気持ちの時はロンドンの友達にメールを書いた。技師長に電話もした。相変わらずあっけらかんと「あっはっは。それは大変だろう。でも大丈夫だよ、慣れるよ。ロンドンの生活だって慣れて何とかやっていけたんだから。何とかなるよ。」と言ってくれた。それを聞くと「そう言われればそうだな。」と不思議と納得して気が凪た。

今でもそうやって時々連絡を取っている。

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